#私の挑戦史

挑戦が、未来を、過去の意味さえも変えてきた。

堀江聖夏、通称「ほりえってぃ」。セント・フォース所属のフリーアナウンサーであり、WEIN隊の応援隊長でもある。底抜けに明るく、周囲への気遣いも忘れない優しさをもつ。一方で今年6月に行われた「WEIN挑戦者FUND」の記者会見では、代表パートナーの本田圭佑氏、元FincTechnologies社長兼CEO 溝口勇児氏、元ネスレ日本社長兼CEO 高岡浩三氏が登壇する緊張感ある船出の会見で司会を見事に取り仕切った。 誰もが知る三代表に対して、その司会ぶりは堂々たるもので、視聴者からの質問を受ける場面でも怯まず、代表3人に食い下がって質問する彼女の姿があった。チャーミングで底抜けに明るくも、凛とした佇まいがある。そこには、これまで包み隠されていた苦悩と優しさに満ちた原点があった。

2020.08.17
挑戦が、未来を、過去の意味さえも変えてきた。

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Profile

堀江 聖夏(ほりえ みな)

セント・フォース所属フリーアナウンサー

出身地:東京都
学歴:立教女学院短期大学 専攻科 卒業
趣味:10秒で似顔絵を描く、絵本制作、舞台鑑賞
特技はダンス・空手資格:2nd passパーソナルプロボディトレーナー、NESTA-PFT(世界標準規格のパーソナルフィットネストレーナー)、アドバンスオープンウォーター(エンリッチド取得)、フェアトレードコンシェルジュ、上級救命技能士、保育士資格、幼稚園教諭2種免許、日本空手道連盟剛柔流研修館初段、温泉ソムリエ

活動:『バゲット』出演、川崎ブレイブサンダースMC担当。
Youtube『ほりえってぃちゃんねる』では保育士資格・幼稚園教諭免許を活かした子供向けコンテンツを配信している。
2020年5月にWEINに参加。WEIN隊では、応援部隊隊長を務める。

小さい頃から友達も多く、幸せな幼少期を過ごされたとのことでしたね。

母の話では、小さな頃から人懐こい子供だったそうです。父は私に甘くて、とにかく可愛がってくれました。母は厳しいけど、私がやりたいことは応援してくれて、思う存分やらせてくれて。おばあちゃんは「ポジティブ!ポジティブ!」といつも励ましてくれ、なんでも挑戦してみよう!という環境の中で毎日楽しく過ごしていました。

学校でのいじめ 昨日までの光景が180度変わった瞬間

子どもの頃から挑戦という意識があり、芸能活動にもチャレンジしたわけですね。ところが、テレビに出演するようになっていじめにあったとお伺いしました。

芸能活動を始めたのは小学校4年生のときです。それまで、沢山の友達に囲まれていました。でも、はじめてテレビにでた瞬間、突如昨日までの光景が180度変わってしまったんです。テレビにでたその翌日から、仲良しの女子グループから無視されました。話しかけても話してもらえない。それでも、夢に向かって挑戦しはじめた自分を否定したくなかったんです。

出る杭は打たれるとわかっていても、その理不尽さに負けたくなかった。

当時はもちろん辛かったです。でもおばあちゃんが家に帰ったらやっぱり「ポジティブ!ポジティブ!」って励ましてくれて(笑)。言葉の力にパワーを得て、学校に行き続けました。負けず嫌いなのかもしれませんね。

いじめはどれくらい続いたんですか?

1年くらい続きました。ずっと無視されていたんですが、ある日、そのグループの中の1人の子が話しかけてくれたんです。普通1年もいじめられている私に話しかけたら、立場が悪くなるじゃないですか。彼女が勇気を出して私に声をかけてくれたことに救われましたね。ようやく友達というものを取り戻すことができた。自分もイジメられている子がいたら彼女みたいな存在になろう、そう思いました。その後の学生時代には生徒会長になって、イジメ撲滅活動なんかもしてましたね。おばあちゃんが言うように、その体験自体をポジティブに変えたかった。

        〜剛柔流空手を通しても心の強さを身に付けた堀江さん〜

「元AKB」と呼ばれつづけた10年

いじめを乗り越え、ついにAKB48のオーディションにも受かったんですよね。

AKBのチームBに所属していました。小学6年生のときに、AKBのオーディションがあると知り、初期のBチーム候補生として受かりました。このグループでキラキラした未来をつかむんだ、私なら絶対できる。一心不乱に歌や踊りを覚えましたね。

なるほど、持ち前のバイタリティーで芸能生活も順調に進んだんですね。

はい。最初は楽しくて。でもある日、親から一方的に「もう(ミナは)AKB48を辞めたよ」と言われて。突然、未来がパタンと閉ざされた気分になりました。当時は小学生ながら怖かった。どうしてこんなことが起こるのか、と。

今振り返ると、引っ越しを機に学業を優先にして欲しいと、大人同士で話し合った判断だったようです。当時は、納得しようにも全くわからなくて。
夢見ていたアイドル生活が、本当にあっけなく幕を閉じてしまいました。

その後、小学校を卒業し中学生になりましたが、ずっと「元AKB」って言われました。「私にも名前があるのに。私ってなんだろう?」って、しばらく疑心暗鬼になったり、心理的なもので句読点が打てない日々が続きましたね…。

それは辛い体験ですね。

しかも、その後AKB48の全盛期が訪れ、街中、TV、旅行先…どこへ行ってもAKBが目に入りました。濁った感情をずっと抱えたままでした。学校では、名前ではなく、「元AKB」とレッテルで呼ばれる日々…。

悔しさから、がむしゃらに歌のレッスンに通いました。

「絶対強くなって見返してやる」

部屋で1人、天井を睨みつけながら、成功するまで挑戦する意思を固めていました。

「元AKB」から「堀江聖夏」を取り戻した友人の言葉

そうした状態はいつまで続いたんですか?

ある時、友人にかけられた一言で大きく意識が変わりました。

「みな、5年前にタイムスリップできたら、何する?」

「…そうだね。私は、大人たちにAKB48を辞めたくなかったって、言いたい。」

出てきた言葉はとてもシンプルでした。ああ、でもそうなんだ。私はただ、この理不尽に対して、自分の意志を伝えられればよかった。結果辞めることになっても、伝えていれば、後悔しなかったんじゃないか。

全て環境のせいにして、1人閉じこもっていただけだったんだ。私は、自分で決めたかっただけなんだって。そこからは、目の前のことに対して「自分の意志をもつ」そう誓いました。そこから10年経った今、こうして振り返ってみるとその「挑戦」の節々には、恩師の中学の先生や家族、仲間の応援や支えが必ずありました。きっと一人の力だけでは、自分の意思決定をしたとしても「挑戦」を乗り越えることはできなかったと思うので、自分は周りに支えられているなと改めて実感します。

「元AKB」から「堀江聖夏」を取り戻すことができました。

他の子と比較するのではなく、その子自身の「挑戦」を支えたい

高校を卒業後、大学の保育科に入学されたんですよね。

はい。幼稚園の実習では、とても印象に残る子どもとの出会いがありました。
彼女は”普段は歌うのが上手なのに、人前にでると歌えない子ども”でした。でも、私が「上手だね、もっと聞きたいな」と話かけると、その子の頬が紅潮して、みるみるうちに自信をもってくれて。音楽会で堂々と歌う子ども達の姿を見ながら、一人一人の成長や純真さが心底愛おしいと思いました。

それからは、他の子と比較するのではなく、その子自身の「挑戦」を支えたいと強く思うようになりました。
1つ何かをできるようになった子が、2つ目のことに挑戦した時は沢山褒めて。完璧にできなくても全然いいんです。そして、できない子には、ゆっくり背中を押して上げることが大事だと学びました。

今は「こどもたちの個性を発揮できる場作り」を夢見て、YouTube「ほりえってぃちゃんねる」を通して子どもたちが楽しんで取り組める活動を行っています。

子ども達への深い愛情を感じます。改めて、なぜ子どもなのか?お聞かせください。

子どもたちが好きなことをして、のびのびと遊んで、心が輝いている姿からは大切なことを教えられるんです。情報の洪水のSNS時代、「これが当たり前」とか「こうすべき」といった概念って誰が決めているんだろうって。

子ども達の心の中の「ワクワク」を大事にして、大人の固定概念にはめないで個性を生かせる場所を提供できたら…。子ども達の挑戦を皆で、温かく支えあっていけたら、と思っています。

尊敬する先輩、「田中みな実」からの手紙

大学に通いながら、セント・フォースにも所属しアナウンサーとしても活躍されていたんですよね。セント・フォースは、フリーアナウンサー、キャスター、リポーターが所属する大手芸能事務所ですが、印象的な出会いがあったそうですね。

田中みな実さんと番組で1年以上共演しました。常に、一線を走り続ける姿に、女性として、アナウンサーとして、目指すべき姿を教えられたように思います。

ある時、田中みな実さんから、お手紙をもらったんですが、書き綴っていただいた言葉が宝物のようで…。お部屋にずっと飾らせて頂いています。アナウンサーとして、一人の人間として“自分の言葉”を強烈に意識することになりました。みな実さんのように活躍されている方の言葉、重いし、効きましたね。 

〈田中みな美さんからの手紙 〉

“思ったことを全て言葉にするのではなく

その場に応じた一言を

あなたらしく発することを心がけてみて下さい。

考えすぎて何も話せなくなってしまうのは勿体無いです。

一度頭の中でその一言が“効く”かどうかの判断をしてみてね。”

 “私らしい言葉の力”によって、未来を切り開く。
これは、私のその後の人生を変える言葉になりました。

 〜いただいたお手紙と田中みな実さんがオーダーしてくださったハンカチは彼女の宝物だという〜

セント・フォースでも挫折の連続。諦めず挑戦することで、自分がなりたい姿が見えてきた

 念願だったセント・フォースに入って、尊敬する先輩にも出会えて順風満帆な滑り出しですね。

それが、セント・フォースでも挫折の繰り返しでした。オーディション一つにしても、いつも良いところまできて落ちちゃうんですよね。笑

でも諦めず、挑戦していく中で、自分は何がしたいのか、何が好きなのかより、「何をしている時の自分が好きなのか」が少しずつ見えてきたんです。挑戦することでしか見えない景色がみえてきたというか。

〜「ナカイの窓」では絵の才能をとりあげられた〜

WEIN隊応援隊長を運命だと信じる

アナウンサーとして昼の帯番組を担当など、多岐にわたる活躍をしていた2020年4月、WEIN代表の溝口さんと出会われたんですよね。どういう経緯で、WEIN隊応援部隊長としての活動がはじまったんですか?

溝口さんから、「堀江ってぃは何になりたいの?」と聞かれたことがきっかけで、私の夢を一生懸命溝口さんに語っていると、「ビジネスの基礎を学んでみれば」とのアドバイスを頂きました。この言葉を何度もよくよく考えてみたのですが、私、自分の強み・弱みをしっかり認識する機会を持ててないなと、気づきました。

今はWEINの活動を通して、色んなことを学べ本当に充実しています。自分自身の成長環境として、WEINで存分に学んでいきたい、という思いが強くなっています。渡された台本をこなす、だけではなく、上位概念として、最上段から目的を捉え、「どうしたら、最適な形で見ている人に届けることができるのか?」を考える思考がつきました。溝口さんの教えです。
ちなみに私が初めて使ったビジネス用語は「アサイン」です。笑 それまで、ビジネスの世界でいたことがなかったので、何もかもが新鮮でした。

そして何より!保育の世界でもこどもたちへ感じた想いと全く変わらない思いをWEIN隊のみなさんに感じています。「一人一人がここにいてよかった」と思える場を創りたいと思います。WEIN隊の方々の個性が活きて輝ける場を創りたい。多くの方々の「言葉」に支えられ、励まされ、自分で自分の道を正解にすることができた。だから、WEIN隊の一人一人が勇気をもって一歩進むことを支えたいし、戦う人を応援したいです。自分を重ねてしまっているかもしれませんが、それでも、私がこの「応援隊長」という立場を拝命したのも、もう運命だと信じています。

編集後記

いつも明るく、ポジティブ、純真さを併せ持つ魅力的なほりえってぃさん。

それでいてこの凛とした姿はどこからくるんだろう?と思って臨んだインタビューでした。インタビュー中は答えづらい質問でも言葉を選びながらも、一つ一つ真摯に向き合って言葉を紡ぎ、自分を知ってもらうことで、誰かの一歩になるのであれば、と多くの資料を送って下さりました。「おじままさんに私のインタビュー全部をお任せします!」と全面的に信頼して下さり、必要な情報は包み隠さず出し尽くして頂くなど、細やかなお気遣いに救われました。これまで彼女を支え、応援する多くの人が口にする「利他の人である」という言葉、わずかな時間に幾度も感じることができました。インタビュー第1号となるほりえっていぃさんの記事に携われ、幸せな時間を過ごせたことを御礼申し上げます。ありがとうございました。

ママ部隊リーダー:尾嶋 芳子(おじまま)