#私の挑戦史

人を、企業を支援し、可能性を広げ続けることが、私の挑戦。

池永将成。中国・四国部隊リーダーを務めながら、今治タオルを取り扱う株式会社ハートウエルの代表でもある。知的で常に自分を客観視する冷静さに加え、挑戦に対する熱い想いも兼ね備える池永さんであるが、その思考の原点には「人の可能性を広げる」ことへの強いこだわりがあった。そうした洗練された価値観は一体どのようにして築かれていったのか、現在の池永さんを形作る過去や原体験、そして、これからの挑戦や展望について迫るべく、九州・沖縄部隊リーダーでありながら九州大学で博士研究員でもある安藤達也(あんどう たつや)が取材に臨みました。

2020.08.26
人を、企業を支援し、可能性を広げ続けることが、私の挑戦。

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Profile

池永将成(いけなが まさなり)

出身地:山口県
学歴:早稲田大学社会科学部
趣味:ランニング
活動:大学在学中、シンガポールの企業でWEBコンサルティングに携わる
   アクセンチュア株式会社へ新卒入社
   独立し、株式会社MIDIOを創業
   2018年9月、株式会社ハートウエルの外部コンサルタントに就任
   2019年2月、ハートウエルの親会社である株式会社匠堂に参画
   同4月、株式会社ハートウエルの代表に就任

環境に囚われることなく、広げ続けた自らの可能性

今日はよろしくお願いします。早速ですが、地元の山口ではどのような幼少期を過ごされてきたのでしょうか?

こちらこそよろしくお願いします。

山口県の長門市の田舎で生まれ育ちました。同級生が10人くらいの学校で、今は廃校になっているくらいの過疎地域です。田舎ではよくあることだと思いますが、やりたいことがあっても情報が入ってこない田舎特有の閉塞的な空気感があって。自我が強くなる中学生の時ぐらいから、地元を早く出たいと思っていました。なんだかこのままではダメになってしまうんじゃないかと危機感を覚えました。その危機感もあってか、自分の知らない世界に身をおいて視野を広げようとする意識は幼い頃からあったと思います。

なるほど。閉塞的な環境の中で内向きとならず外向きに意識をはせ、視野を広めなければならないと危機感をもった池永さんの鋭さはさすがです。その地方特有の閉塞感に対する危機感から池永さんを救ってくれたものはあったりしますか。

はい、助けになったことは主に2つあります。

1つは陸上競技です。中学高校は陸上長距離に打ち込みました。精神的に色々考えた時期でしたが、朝練・夕練と目的に向かってハードにトレーニグに取り組むことで、自分を保ち、メンタルも強くすることができたと思います。
また、大会日程が決まっている中で、目標に向けて逆算し、計画を立案しトレーニングを積むことで、思考と実行を繰り返してゴールへと到達する一連の営みを学ぶことができました。この経験は、その後の受験勉強や企業経営を含め様々な場面で生きています。

もう1つが、インターネットです。田舎では情報が入ってきにくいですが、実家のパソコンを使い、陸上のチャット掲示板で出会った全国の仲間たちと繋がり、情報交換をしていました。また、東京のプロのコーチからメールでトレーニング法についてアドバイスを得ながら練習に取り組み、1500m走での全国大会出場を果たすことができました。そのおかげで高校進学ではスカウトを受け、実家から離れたスポーツ強豪校に進学することになり、地元からの脱出を実現しました。笑

この経験は自分にとって大きく、インターネットの力を使って、情報の格差を埋め自分を拡張した原体験になっています。

自分のみにとどまらず他者まで広げた可能性の輪

環境を言い訳にすることなく自分の可能性を広げ続けたその姿勢、とても素晴らしいです!大学は早稲田大学とのことですが、都会の大学を選んだのもやはり、自分の知らない世界へ進出することの想いが起因しているんでしょうか。

想いに関してはそうなんですが、大学進学に関してはやや複雑です。笑

高校は陸上競技中心の生活で、スポーツ推薦で大学進学する話が進んでいたのもあり、勉強は全くしてなくて。笑
しかし、高校最後の夏に故障し、慢性的な足の痛みもあり、秋以降はチームのサポートにまわりました。そして、最終的に競技を継続することを断念し、一般受験での大学進学を決めました。
年末の全国高校駅伝が終わってから勉強を本格的に開始しましたが、当時は偏差値が40前後で。難関校合格は絶対無理だと周りから言われましたが、1年間の浪人を経て早稲田大学への受験に挑戦し、合格を勝ち取ることができました。

その勢いで胸を踊らせて大学に進学しましたが、最初の1年間は全く楽しくありませんでした。ずっと陸上競技のことしか頭にない人生だったので目標を見失ってしまって。それと単純にコミュニケーションがあまり得意ではなく、友達が全然できませんでした。都会の大学で、かつ周りに面白い人たちがいる環境に行けば、自分も面白く感じるのではないかと高慢に考えていましたが、それは間違っていました。それまで陸上競技などを通して自分と向き合うことには取り組んできましたが、他者を意識し、対話することは不慣れだったんです。

この時、「自分が変わらなければダメだ」ということに気づき、自分だけではなく他者とも向き合うようになっていきました。大学内のベンチで知り合いを見かけるたびに声をかけて話したり、自分が幹事になって飲み会を企画したり、コミュニケーションへの苦手意識を払拭していきました。

空間を越え、文化を越え、他者と交わりながら広げ続けた自らの可能性

なるほど。そこですぐに自分を変えようという決意に至った精神性も素晴らしいです。これまでは陸上競技に没頭してきた池永さんですが、大学では何か没頭できるものはあったんでしょうか。

それこそ何か没頭することを見つけたいと思い、教育業界のベンチャー企業に参加し、ビデオ通話を用いたオンライン授業を始めました。生徒の多くは、地方で通える塾がなかったり、友人関係や家庭の問題で登校できなかったりというように、かつての自分が抱えていた閉塞感を同じように持つ子ども達ばかりです。そんな彼らが自分とのやりとりを通じて良い方向に変化する瞬間に立ち会うことができた時はとてもやりがいを感じました。当時のオンライン授業は個人対個人のものでしたが、後に企業コンサルティングを志すことになったのは、この時の指導経験が大きく影響しています。一人の生徒を指導、サポートするように、組織に対して良い影響を与えることができれば、個人の可能性をより大きなインパクトでもって広げることができると考えたんです。

また、休学して海外で就業することにも挑戦しました。田舎から行動範囲を広げてきた私にとっては自然な流れでしたし、異国の多様な文化や価値観に触れ、自己をより相対化したいという想いがあったんです。自分を相対化すると、他者を理解しやすくなります。他者に対してネガティブな言動を取ってしまう理由の一つとして、相手が抱える事情や背景に対する想像力に欠けるということが挙げられます。僕はそうした想像力の源は経験だと考えます。海外では全然言葉が通じなかったり、同性の男性に熱烈なアプローチを受けたりと様々な経験を得ることができました。笑

1年半の海外生活のうち、最初の2ヶ月はフィリピンのセブ島で英語を学びました。その際、物乞いの子どもや、道端で娼婦として働く同い年くらいの女性など、多くの貧困を目の当たりにし、彼らの貧しさを解決する力を得たいと感じました。一方で、今度は資本主義の最先端を見たいと考え、次にシンガポールを訪れました。一人で海辺にテントを張り、いろんな会社のドアをノックしたり、ネットで求人票を見つけて仕事を探し回ったりしました。今考えるととても失礼な学生ですよね。笑 そして、そこで拾ってもらった現地のweb会社でhtmlやcssなど基礎的なweb技術について学び、日本に戻って新卒でコンサルティング会社のアクセンチュアに入社しました。

〜海外で出会った方々に囲まれる池永さん〜

会社という大きな「人」の可能性を広げる挑戦

大学在学中の池永さんのご経験はとても豊かで、池永さんの人間としての魅力、豊かさはこれらの経験が少なからず影響しているのかなと感じられました。新卒入社後はどのようなことを想い、どのようなことについて取り組んできたのでしょうか。

新卒で入社したアクセンチュアは、思ったことを直接伝えるトークストレートや、自分で決めたことは責任を持って実行するプロフェッショナリズムといった非常に優れた文化がある会社です。しかし、その一方で、会社のマネジメントや働き方に個人的に疑問を感じたり、自力で独立したいとう前々からの想いが強まったりして、1年半で退社する道を選び、独立してコンサルティング業を始めました。

独立後は、もともと知り合いだったコンサルタントの方と一緒に行動し、案件の獲得、顧客との折衝、予算管理、デリバリー品質の担保など、一連の仕事術を学ばせてもらった後、1年半後に自分で会社を設立しました。

起業した会社では主に新規事業やマーケティング、システムに関するコンサルティングなど、IT系の事業を取り扱っていました。様々な依頼を受ける中でお客様に感謝していただくこともありましたが、同時に支援の範囲に限界があるということも常に感じていました。会社の根幹に対するコンサルテーションや、会社全体を見たうえで責任を負うような仕事に関わりたいという気持ちが次第に強まっていきましたね。

そして、そんな矢先に舞い込んできたのが現職の今治タオルを取り扱う株式会社ハートウエルの経営再建の話でした。

起業して自らの会社を持ち事業を進めてきた池永さんですが、それでもなお自分の影響力の範囲に満足せず、貪欲に可能性を広げ続けることを決心した矢先に現在勤めるハートウエル経営の話が来たということですね。

まさにその通りですね。

ハートウエルは1930年創業の老舗のタオルメーカーで、従業員は90名ほどです。元々はOEM事業で成長した会社ですが、事業環境の変化を機に売上不振が続いていました。私は親会社の社長からの依頼で当社の社長に就任し、経営再建を進めています。初期にコスト削減を行い、現在は利益構造を変えるため、小売を中心とした業態へのシフトに取り組んでいます。小売のビジネスをするためには、あらゆる変革が必要です。ミッションや行動指針の策定、組織体や人事評価制度の変更など、toCのお客様に満足いただき利益を創出するための様々な施策を行っています。

単身で東京から今治に移住することになりましたが、企業変革はひとりの力では成し得ないと思っています。不振企業の社長は一緒に伴走するリーダーではなく、命令中心のボスであることが多いですが、それでは社長が社員の賛同を得ることはできません。私は30歳で年齢的には社内でも若いほうなので、業績において成果を出すことは当然ですが、朝の掃除から社員と一緒に取り組むなど、基本的な部分を大事にしています。また、現場が活きる、働きやすい環境をつくるのが経営の役割です。現場が「末端」ではなく「最先端」となる組織を目指しています。

〜日本人・ミャンマー人混合のハートウエル製造部門の社員の方々と池永さん〜

WEIN隊でも「人の可能性を広げ続ける」

なぜWEIN隊に入ったのでしょうか。コミュニティリーダーに応募した理由や想いについてもお聞きしたいです。

私は山口県の田舎で育ちましたが、挑戦することで自身の可能性を広げていくことができました。今の仕事についても企業や人の可能性を広げることに寄与したいという考えが根底にはあります。支援の総量を増やすことで挑戦を増やす、挑戦を増やすことで21世紀の課題を解決するというWEINのビジョンと、「人の可能性を広げる」という私の生きる指針がとても近いもののように感じたんです。

コミュニティリーダーについては、私が学生時代にインターネットで様々な人と繋がることで自分の世界を広げていくことができたように、WEIN隊を通じて中国・四国の高い志を持つ人たちが集い、個々人の活動の幅や人生を広げていくことを先導したいという想いがあったからです。
また、これは個人的にですが、ベンチャーキャピタル(VC)の投資対象は首都圏の企業が多いという現状の中、WEINでの挑戦を通じてVCから投資を受ける企業が中国・四国部隊から出れば面白いかなと思っています。そういったケースに遭遇することができれば、是非とも支援したいですし、WEINという大きな枠組みを駆使すれば不可能ではないとも思っています。
各メンバーの挑戦のサポートとWEIN全体のビジョン達成の双方を実現させたいですね。

また、自分自身が挑戦者であり続けるため、やはり現在代表を務めている今治のタオル会社の経営再建には貪欲に取り組んでいきます。会社のあり方として社長の能力に業績が依存する会社は優良企業とは言えないと考えます。社長が変わったとしても成長が続く会社が理想ですし、その状態をつくり出すことが社長の仕事です。まだまだ駆け出しですが、企業再生・企業経営の挑戦には絶えず取り組んでいこうと思います。
将来的には支援や経営の対象となる企業の幅をより広げ、日本の中小企業や製造業が世界で闘うために尽力できたらと考えています。
日本の製造業は1960年から1970年代にかけて大きく成長し、世界でもプレゼンスを拡大してきましたが、その後、徐々に影響力を失ってきました。経営的に問題を抱えている中小企業が多いというのが現状ではありますが、もう一度日本企業、製造業が世界に羽ばたき、従業員含めたステークホルダー全員が挑戦し、自身の可能性を広げていくことの一助を担うことができればと考えています。

編集後記

現在は社長の立場として会社を客観的な目線で見られている池永さんですが、子供の頃から、常に冷静に自らを客観視・相対化する冷静さと、挑戦への熱い想いが印象的でした。
また、インタビュアーへの気遣いや、時折交えるユーモアなど、純粋に楽しい時間を過ごさせていただきました。

私自身が学ぶことが多く、刺激を受けたのはもちろんですが、一緒に取材を行ってくれた石田くんと櫻井さんが取材直後に発した、「すごく楽しかった」、「お話が聞けて本当に良かった」という言葉が非常に印象に残り、若い二人にとって大いに刺激になったようです。

熱い挑戦への気持ちと、常に自身を客観的に分析し、改善と実行をされてきた池永さんの経験は、特に若い学生の皆さんにとって参考になる部分が多いのではと思います。

WEIN隊 九州・沖縄部隊リーダー 安藤達也